池畔の柳影 西條藩見聞録

その十九    銀煙管 〜第四章『藩主旧情』より〜

 紀州和歌山藩の治貞公(黄門)は、西條藩松平家から、ご本家の九代藩主として入嗣(にゅうし)した方である。

 ある日、藩儒の細井平洲を召して経書の講義を聴いた。終わって公は、銀製の煙管を出して煙草を召された。

 平洲はこれを見て言った。

「ご立派な煙管でございます」

「いやいや、これは銀のように見えるが、銀ではなくして鉄作りなのだ。しかし、これを用いて十七年にもなるので、自然に光沢が出て、このように光るだけだ。

 わたしは日頃の食事は一羹(こう)一汁であって、膳に出る椀の多くは空なのだ」

 とも仰せられた。

 その時、平洲は溢れる涙を止めることができなかったという。

治貞公  西條藩五代藩主頼淳(よりあつ)のこと
入嗣 嗣子(家の跡継ぎ)として入ること
細井平洲 江戸中期の儒学者
経書 孔子など中国の聖賢の述作した著。四書・五経・九経・一三経の類。経籍
煙管 刻んだ煙草を吸う道具。
一羹一汁 煮付けた食べ物(野菜や肉)と吸い物
香厳院  治貞公のおくり名